『肉筆浮世絵』の骨董品としての価値や買い取りについて解説します

肉筆浮世絵”は、江戸時代に生まれた浮世絵のカテゴリーの一つとされています。

その中でも通常の版画ではなく、絵師が直接筆で描いた浮世絵を「肉筆浮世絵」と呼んでいます。

肉筆浮世絵を描くのは”見返り美人図”で名高い菱川師宣を筆頭に、葛飾北斎、勝川春章、宮川長春、喜多川歌麿、歌川広重など、数々の著名な浮世絵師がいます。今回の骨董品買取コラムでは、肉筆浮世絵の魅力や歴史、葛飾北斎について、そして肉筆浮世絵の買い取りについてご紹介いたしますので、ぜひ最後までお読みください。

肉筆浮世絵の魅力

肉筆浮世絵は、江戸時代に確立した絵画カテゴリーの一つとなっております。「浮世絵」というと、どんなイメージを持ちますか?誰でも一度は聞いたことがあるでしょう。葛飾北斎の「富嶽三十六景」や歌川広重の「東海道五十三次」などのいわゆる「浮世絵版画」を思い出すのではないでしょうか。しかし、肉筆浮世絵はその名前が示す通り、絵師が一つずつ丁寧に筆で描いた貴重な作品なのです。浮世絵とは風俗画の意味があります。

その題材として多く選ばれているのは江戸時代の人々の生活や文化、芸能、風物などです。大半が紙本彩色か絹本彩色の掛軸ですが、杉戸絵や絵馬、屏風絵、絵巻物として描かれた物もあります。肉筆浮世絵の特に大きな魅力としては、江戸時代に生きた人々の生活や文化の息吹を、色彩豊かな絵画を通してうかがい知ることができるところです。加えて版画とは異なり、一つずつ時間をかけ丁寧に描いたという当時としても大変労力をかけたとても貴重なものであるということも忘れてはいけません。

 

肉筆浮世絵の歴史

浮世絵の誕生は十七世紀後半の寛文期と言われております。この頃の浮世絵は「寛文美人図」と言われるように遊女や若衆などの人物を題材に描かれたものが多くありました。それまでの絵画の注文者は、上層階級の武士か一部の商人でした。しかし寛文期には大きな転換があり、当時経済力を付けて勢いを持ち始めていた町人たちが上層階級に取って代わっていきました。

 

初期の浮世絵画家の代表的な人物としては、浮世絵の祖と評される菱川師宣がいます。彼は町衆の美意識に合った絵画を描き、更に木版画も制作しました。また浮世絵の普及と後進の育成に力を注ぎ、自らの工房を構えてたくさんの門人を養いました。

 

師宣以降の十八世紀代を表する浮世絵師には、宮川長春がいます。

長春は、多くの絵師とは違い木版画を制作することはなく、肉筆浮世絵のみを描いた画家として有名です。色気と愛嬌のある美人画は大いに好評で、大変人気がありました。そして多くの浮世絵師が活躍した江戸時代後期になると、葛飾北斎、勝川春章、歌川広重、喜多川歌麿などが木版画とともに肉筆浮世絵も描きました。彼らは数多くの素晴らしい作品を後世に残しています。

 

葛飾北斎

葛飾北斎というと、長い画業のなかでも富嶽三十六景や北斎漫画など有名な作品を残し、号を三十回も変更したことでも知られております。更に引っ越しも九十回以上行ったりするなど、多数の逸話のある日本を代表する浮世絵師です。近年日本のみならず国外でも北斎が大注目され、各地で展覧会も開催されておりますので、彼の作品を目にした方も多くいらっしゃるでしょう。

この北斎、木版画だけではなく、実は肉筆浮世絵も描いています。

晩年では、特に肉筆浮世絵の制作の方に力を尽くしており、日本の古典や動植物、仏教などを題材にした作品を多く描きました。彼の肉筆浮世絵を観る際、先ずその絵の美しさ、見事さに驚かされます。木版画は作品の完成までに多くの職人を経て作られますが、肉筆では、北斎がひとりの描く線の鋭さや背景の暈し、微妙な色使いが見ることができます。そのため彼の作品は神気ともいえるような凄みを放っており、一瞬で作品に引き込まれることでしょう。

現在、北斎の肉筆浮世絵は、東京の両国にあるすみだ北斎美術館で出会うことができます。北斎の作品を楽しむことができますので、展示状況を確認したうえで、ぜひ足をお運びください。

肉筆浮世絵の価値と買取り

現在の肉筆浮世絵の価値は1点のものかつ貴重なものであるにも関わらず、実は浮世絵版画に比べると金額的な価値は低く評価される傾向があります。しかしながら、浮世絵の人気は国内外でますます高まっておりますので、肉筆浮世絵の評価と需要も、これから更に高まるのではないかと考えております。