『煎茶道具』に骨董品としての価値はある?買取についても解説します

煎茶道具(せんちゃどうぐ)とは、煎茶や玉露などの茶葉を用いてお茶をいれる“煎茶道”で用いられる茶道具のことを指します。この煎茶道具は茶の湯道具と比較すると買取価格が低くなってしまっているのが現状としてあります。
しかしながら、近年では中国美術の人気が高まってきていることから、宜興窯の茶瓶、古い錫の茶壷といった煎茶道具は高価なものが多く、買取価格も高いことが期待できます。

今回の骨董品買取コラムでは、煎茶道具の買取価格や、煎茶道具の魅力と歴史、煎茶道具の代表的な作家の一人である青木木米とその作品ついてご紹介します。煎茶道具買取に関心がある方はぜひとも最後まで目を通してください。

煎茶道具の魅力とは

煎茶道具とは煎茶道で用いられる道具のことを指します。流派によって同じ道具でも名称が異なる場合がありますが、炭を入れ、湯を沸かすいわゆるコンロの役割を果たす「涼炉」。涼炉を乗せる「炉台」。涼炉に乗せて湯を得るやかんのような「湯瓶(ボーフラ)」。茶を煎じるために用いる「茶瓶」。それぞれが茶をいただくための「煎茶碗」。煎茶碗の受け皿となる「茶托」。茶葉を保管・運搬するための「茶壺」。茶壷から茶を取り出すための「茶則」。道具を収納するための「器局」。こうした煎茶道具だけでなく、水注や水指、煎茶盆、棚、建水など煎茶道具には数多くの道具があります。

煎茶道具と茶の湯道具との違いは、思想や文化を取り入れている時期の違いと、日本文化の反映という2つの点にあります。茶の湯道具は中国宋時代の思想や文化が反映されながらも、安土・桃山時代の千利休によって侘茶が完成したことによって日本独自の道具へと進化していきました。それに対して、煎茶道具は中国明時代の思想や文化を起源にもち、中国の文人的な要素を強く受け継いだまま日本に伝来してきています。

煎茶道具の魅力は、こうした中国独自の趣を持った雅な世界を、小さな道具を組み合わせながら作り上げていくことにあります。

煎茶道具の歴史

日本において煎茶を煎茶道にまでその地位を向上させた人物は煎茶中興の祖とも呼ばれる18世紀の江戸時代の黄檗宗の僧・高遊外売茶翁です。売茶翁は、中国文人の清雅な精神を手本とし、当時の茶の湯が形式主義に陥っていたことを批判しました。そして、煎茶の自由と精神性を高めるべく、京都の東山にて独自の道具を用いて煎茶を振る舞いながら、煎茶道を提唱しました。

この煎茶道はその後、上田秋成や、頼山陽、田能村竹田といった江戸時代後期を代表する文化人にも好まれ、文人画や書斎で用いられる文房具を愛でる風潮とも合い、煎茶は多くの人から好まれることになりました。この煎茶道人気は、戦争によって衰退したこともありましたが、1960年代まで続くことになります。

青木木米の煎茶道具について

青木木米は、江戸を中心として花開いた町人文化である化政文化の時代に、京都で活躍した陶工です。

木米は、はじめは書の研究に没頭していましたが、奥田潁川と出会ったことを契機として一度は陶芸の道へ入ります。当時の京都では、中国の文人趣味が人気を博しており、陶芸も伝統的な古清水風から中国陶磁風の作品に人々の関心も移っていました。その中国陶磁風のパイオニアが奥田潁川です。

木米も中国陶磁風の作品を作っていましたが、陶芸に関して非凡な才能を発揮していたことから、加賀の前田家に招かれ、絶えていた加賀九谷焼の再生にも力を尽くしました。

木米は、煎茶が当時流行していたこともあり、多くの煎茶道具を作成しました。木米が作成した数ある煎茶道具の中でも最も人気のある煎茶器種は急須と煎茶椀です。急須は色彩鮮やかな交趾手と焼き締めの南蛮手の作品が木米の代表作とされ、また煎茶椀は赤絵、染付、白磁、金襴手などさまざま手法の作品があり、現在でも根強い人気を博しています。

煎茶道具の価値と買取り

残念ながら煎茶道具の買取価格は、茶の湯道具に比較して安くなりやすいと言えます。ただし、近年では中国美術に関心が高まってきており、宜興窯の茶瓶、古い錫の茶壷などは高価な買取価格が設定されているものも多く、また今回紹介した青木木米だけでなく、仁阿弥道八など江戸後期に異彩を放った陶工の煎茶道具も人気があります。

煎茶席で用いられる掛物に文人画があります。現在、日本の文人画は昔ほど買取価格が高いわけではありませんが、近現代の中国の著名画家による文人画は、非常に高い価格で取引が行われています。また、中国の文人画は、戦前期に数多く日本に伝わってきています。もし押入れの中にこうした文人画が眠っているようなことがあれば、高い価格で買取される可能性もあります。そのため、文人画の取り扱いが多い専門業者に一度鑑定を依頼し、その価値を確認しておいた方がよいでしょう。